8


短い、断末魔のような銃声だった。


時が止まったかのように静まり返る室内。反響した音がいつまでも耳鳴りのように残っている。散る血飛沫を、命を、誰もが固唾を飲んで見殺しにすることしかできなかった。鮮やかなほどに澱みのない、自殺だった。


重力に従ってルッカの体が崩れ落ちる。ガシャン!と一層大きな音を立てて、赤い飛沫で汚れた凶器が転がっていく。

ルッカは拳銃を二丁持っている。私物と、組織からの配布物。彼が汚すことを選んだのは、組織の印の入ったものだった。ルッカはずっと、自身が持ち込んだ方の拳銃を極力使わずに過ごしてきた。彼は、実の兄を葬った武器を、積極的に使いたくはなかったのだ。


+


それは遠い昔、ルッカの親友が渡してくれたものだった。


ルッカの家族は貧乏だった。けれど幸せだった。優しい家族と共に互いを助け合って生きてきた彼は、忌まわしき魔女の災から家族を守る為、この組織に自ら入った。彼の幼馴染みや親友はこれを快く応援してくれた。ルッカの一丁の拳銃はその応援の気持ちから渡されたものだ。

___しかし、今や親友たちはおろか、彼の家族たちも、奮闘するルッカを応援してはくれない。

彼らは、死んだのだ。他でもない魔女狩りの_自分たちの手によって。


ずっと疑問はあった。それは他の若衆も同じだろう。ルッカは常にその議題について頭を悩ませていた。

「魔女、って何?」

どれだけ考えたって答えは出ない。もともと考えるのが苦手な彼にとっては、この終わらぬ疑問が何よりも重荷だった。考えに考えすぎて、彼の髪は徐々に色を失ってしまった。それでも彼は考えた。魔女とはなんだろう。自分達は何をしているんだろう。何が正しいのだろう。


考えて、考えて……ついに、止めた。


彼は最期まで答えを見つけることはできなかった。けれど疑念はあった。彼なりの思いもあった。意志も、希望も、彼にはあった。


その全てを乗せて、彼は引き金を引いたのだ。


+


最期の反抗の跡は今、金属音を響かせながら、ファウストの前で止まった。

…………え、」

「ルッカ!!??」

溢れた戸惑いの音に被せて、アザレアの金切り声が上がった。たった今気づいたかのような、明らかに遅い反応。あまりの出来事に、思考が追いつくまでにかなりの時間を要したのだ。

そしてそれはもちろん、他のメンバーも同じだった。アザレアの声を皮切りに、ざわりと動揺の声が広がっていく。

「る、ルッカ……

遅れてレイモンドの震える声が聞こえた。バタバタと走る音がして、皆がルッカを囲むように駆け寄っていく。


ファウストは、そんな光景をどこか他人事のように見ていた。まるで映画でも見るような気分で。周りの会話も、表情も、どこもかしこもまるで現実味がなかった。1人だけ遠くに浮かび上がったように、上の空だった。

どうして」

そんなことはわかっていた。限界だったのだ。

誰よりも優しい彼は、誰よりも心に負荷をかけ続けていたに違いなかった。しかし頭が追いつかないのだ。うわごとのように、どうしてと繰り返すことしかできなかった。


「貴様のせいじゃないのか?」

低い声が聞こえた。その声は、すっとファウストを現実に引き戻していく。

「貴様が、最後の引き金を引かせたのだ」

他の誰にも聞こえないであろう、じっとりとした声が、悪魔のような言葉をファウストに囁く。

「奴が死んだのはお前のせいだよ、ファウスト」

そう言って、メルヴィルはマントを翻しながら、ファウストの横を通り過ぎた。


(違う)

頭に浮かんだ言葉は声にならなかった。だって、もう彼は死んでしまったのに。誰がその意思を汲み取れようか。

それでも違うと信じようとした。ファウストは、ルッカのことを良き仲間だと信じたかったから。彼はこの組織に反抗したんだ。長に牙を剥いた自分のように、と。


「チッ……次から次へと面倒な

遅れて近寄ったエドウィンが頭を抱えながら愚痴をこぼす。瞳が動揺で微かに揺れていた。

「ちょっと!うるさい!暇なら手伝ってよ!」

ルッカの真横にしゃがみ込んだアザレアが、非難の声を上げた。その足の下で、じわりと、床に鮮血が広がっている。

レイモンドがルッカの上体を抱え起こして、真剣な目で見つめているのも遠目に見えた。



「アザレア、俺がやろう」

アザレアの背後から、何食わぬ顔でメルヴィルが手を差し出す。しかしアザレアは、むっと顔を顰めてしまった。

「メルはだめ!手怪我してんじゃん」

「ん?」

はたと手を止める。同時に、ずきりとした痛みを思い出した。そういえば撃たれていたのだったと。

「おい、誰か奴を見張っておけ。混乱に乗じて逃げられたら面倒だ」

混乱の最中、エドウィンがファウストを指差して言った。

「誰がそんな……!」

ファウストは声を荒げた。しかし、すぐに口を閉じる。誰1人耳を傾けようとしなかったからだ。誰も何も変わっていない。ルッカが死んだだけ。大切な仲間がまた1人減っただけだった。

……

じっとりと睨め付けるように、自分を監視するダナイの視線を感じる。動揺すら感じない、突き刺すような気配が痛かった。


この外道ども……

吐き捨てるように言葉を溢した。

ルッカの言う通りだと思った。うんざりだったのだ。今さっきまでぐつぐつ煮えたぎっていた怒りは、驚きや悲しみと混ざり合って、どうしようもなくなってしまった。どれだけもがいても、誰も何も聞いちゃくれないなら、意味がない。それならば、自分がするべきことは足掻くことではない。

ファウストはふと目を上げる。視線を向けられたアザレアがぴくりと肩を震わせた。


幼馴染のアザレア。メルヴィルの起こした火事の、もう1人の犠牲者であるはずの男。悲劇の何もかもを忘れた彼に、せめて何も思い出さずにいてほしい。それはファウストの、かねてからの願いだった。

途端に体の芯が冷えていく。頭がわずかに冷静さを取り戻すのを感じた。

メルヴィル。ひとつ聞かせてほしい」

ファウストの声に、メルヴィルが振り返る。不思議そうに眉を寄せて。

なんだ、どうした?ファウスト」

周りの人間がつられるように、少しだけ目線をこちらに寄越す。

「あの人は……キャロル・ラッセルは魔女だったの?」


メルヴィルは、ひくりと眉を動かして、すぐにこう告げた。

「ああ、勿論。だから殺した」

その言葉は、今度こそファウストを満足させるものだった。

…………そ」

大きく息を吸って、吐き出す。ほんの少しだが、胸のつかえが取れたような気分だった。

「じゃ、もういいよ。ボクも魔女だから殺すんだろ。早くしてよ」

「は?」

急に態度の変わったファウストに、メルヴィルが瞠目する。すぐ後ろから嘲笑めいた声が上がった。

「どうした?あんなに元気だったのに、もう諦めたのか」

エドウィンだ。ファウストは彼の嫌味にも憤ることはなく、なげやりに「ああ」と肯定する。

「ここは、居心地が悪いから」

エドウィンは、さも興味なさそうに鼻を鳴らした。そんな態度も、もうさほど気にならない。ファウストは1人きりの心の中で決意を固める。全てを1人で抱えたまま、アザレアを置いていく決意を。


「なら、お前は後で良い。先にこの死体から片付けるべきだな」

そう言ってエドウィンはまた床の上に視線を落とす。レイモンドがびくりと体を震わせて、抱きしめるようにルッカの体を抱え上げた。

言い方がキライ」

アザレアがじとりとした目でエドウィンを見る。エドウィンは気にも止めずに続けた。

「死体を死体と呼んで何が悪い?それとも、お前たちはいちいち殺した奴の名を覚えているのか。大した記憶力だ」

うるさい。もういーよ!レイモンド、足持って!」

「あ……う、うんわかった」

「メル!どこ連れてけばいいかわかんないから案内して」

あ、ああ。こっちだ」

メルヴィルが急ぎ足で2人の前に回る。アザレアがルッカの上体を起こすのに合わせて、レイモンドが脚を持ち上げた。もう喋らなくなったルッカの体が重力に従ってだらりと垂れる。

(…生々しい…)

それを見るだけのファウストは、今更ながらそう思った。


扉をくぐるほんの一瞬、振り返るアザレアと目が合う。すぐに逸らされた視線は、二度と交わることはないのだろう。ファウストは閉まる扉を見送って、目を閉じた。アザレアの瞳の色を、死の間際に思い描けるように、固く瞼に焼き付けて。


+


3人がルッカの体を安置して戻ってくるまで、ファウストは一言も口をきかないつもりでいた。勿論、他の2人も。

ダナイは悠々とメルヴィルの椅子に座って、ずっとファウストを見ていた。その目はまるで猛禽類のようだ。油断も隙も見せることはできなかった。ファウストはというと、他の部屋から持ち出した別の椅子に、黙って座っている。エドウィンも同様だ。付かず離れずの距離が、部屋に流れる重く緊張した空気を可視化しているようだった。


本当に逃げる気配すらないとはな」

ふいに、独り言のようにエドウィンがつぶやく。

「別にていうか逃がす気ないでしょ?」

ファウストはチラリとダナイを見た。ダナイは相変わらず何も言わない。

俺はどちらでもいいぞ。どうでもいい」

代わりにエドウィンがそう答えた。

「は……なにそれ」

乾いた声でファウストが笑う。面白くない冗談だと思った。


……

エドウィンが何か言おうと口を開く。

それに被さるようにして、キィと音を立てて扉が開いた。

すまない、遅くなった」

メルヴィルを先頭にして、出かけて行った面子が帰ってくる。皆一様に暗い顔をしていた。

さぁ、いよいよお前の番らしい」

エドウィンが、吸ってしまった息を、仕方なく吐き出すように言った。


ファウストは、胸に鉛のようなものが満ちていくのを感じていた。自身に終わりが近づいていることが、確かにわかった。

「休んでいる時間はないぞ。早く決めろメルヴィル、お前がここのトップなんだから」

エドウィンがきつい口調で言い放つ。急かすように手をひらひらと振りながら。

「ああそうだな」

それにメルヴィルは重々しく頷くと、ファウストを見た。釣られるように、アザレアも、レイモンドも、エドウィンもダナイも視線をよこす。ようやく全員の目がファウストを向いた。

「抵抗しないのなら……手順を踏んで処刑、になるのか。拷問も必要ないわけだからな

淡々とエドウィンが言う。

ここではの仕事は拷問ばかり。ゆえに日頃は惨たらしい死体ばかりを積み上げている彼らだが、どうやら今回はそれは回避できるようだ。

(………全く嬉しくない)

ファウストは静かに自分の頬を撫でる。ざらりとした縫い跡の感触が指に伝わってきた。

(ただでも、そうか……)

キャロル自分を治療した恩人の跡を、できるだけ壊さずに死ねるなら。それはそれで幸いなのかもしれないと、そんな考えが頭をよぎった。



キャロル・ラッセルとは、とある女医の名だ。研究者と言っても良いかもしれない。火事で大火傷を負い、ほうほうの体で逃げてきた幼いファウストを、たまたま拾ったのが彼女だった。

丁度彼女は皮膚の移植の研究をしていた。ファウストの皮膚を継ぎ接ぎにしたのは彼女だ。深刻な火傷を剥がし、新しい皮膚を植え付けて、ファウストを命の危機から救ったのだ。

ひとつ問題があったとすれば、彼女は少しだけ_盲目だった。移植の研究をするために、犬や猫の皮を剥ぎ、人の死体にまで手を出した。そのせいで魔女狩りの目についてしまったのだ。


ファウストは、キャロルが魔女として死んだことは知っていた。だからここにいる。彼女が本当に魔女だったのか、確かめたかったから。

彼はファウスト・ラッセルと名を名乗り、魔女狩り組織に入ることを決意したのだった。



「魔女の処刑正式な場なら火炙りだろう。ただ、そんな場所も余裕も俺たちには無いから、ここではできないな」

そうメルヴィルが言う。

ああ残念だな、古傷を抉ってやりたかったのに。そんな声が聞こえてくるようだ。嫌な幻聴に思わず舌打ちがこぼれる。

(ボクにしかわからない当てつけは止めろよ)

心の中で、そう呟いた。

「ここでやるならそうだな……絞首とか」

……


絞首刑。首吊り。

手軽かつ最速、後始末も楽で殺傷能力も高い、最高の殺し方。殺害対象が抵抗を止めたこの状況なら、障害もない。成る程、合理的だとファウストは思った。

「あらァ、ずいぶんお優しいのねぇ〜

すかさずダナイが茶化すように声を上げる。

不満ならお前がやるか?」

メルヴィルが横目でダナイを見ながら問うた。ダナイはニコリと目元を歪めると、待ってましたと言わんばかりに立ち上がる。

「いいわよ〜腰抜けリーダーサンの代わりにあたいがやったげる」

軽い足取りで歩き出した彼は、ファウストの背後に並ぶように立った。じとりとした視線がファウストの首筋に突き刺さる。

「ありがとう。あとは諸々の片付けと俺は上への報告書の書き直し、だな」

メルヴィルは、ダナイの言葉を意に介さずそういう風を装いながら、指示を出す。

「エドウィン、必要であればダナイの補佐に。アザレアとレイモンドは休んでいいがもし余力があるなら片付けを手伝ってくれ」

「俺やるよ」

俺も

アザレアがすぐに、レイモンドが控えめに申し出た。メルヴィルはそちらを見やり、少しだけ微笑んでみせると、短く礼を言った。


んじゃ、あんたの死に場所に行くとしましょうか?魔女さんや」

頭上から聞こえる声。ダナイは覆い被さるようにして、ファウストを覗き込んでいる。

……

ファウストは返事をせずに立ち上がった。



血と、息苦しいほどの絶望の余韻が至る所にこびりついた部屋。普段拷問部屋として使われる石壁の部屋だ。天井に渡された梁に、見慣れない縄がぶら下がっている。

「遅い。いい加減準備はできたか?」

入口にもたれるようにして立つエドウィンが不平を漏らした。それに、部屋中央ちょうど縄の真横に立つダナイが、呆れたように返す。

「我慢できないお子ちゃまね〜〜〜別に来なくても良かったのよォ?」

「は?逃げないように見張ってろと言ったのはお前だろうが

まるで子供の言い合いだ。不毛なやり取りが交わされている。間に立つファウストの頭越しに。


普段と変わらない会話と、いつもの部屋に、似合わない異質な状況。何かの記念日の時のように、心がざわついている。

はぁ。必要ないなら俺は帰る」

エドウィンが苛立ち混じりに吐き捨てた。そうしてさっさと踵を返すと、足早に去っていってしまう。重々しい扉の閉まる音だけが部屋に残った。

……結局絞首なんだ」

ファウストがぽつりと呟く。

「アラ、何?乱暴なのがお好み?」

「なわけないでしょ。……ダナイこそそういうのが好きなんだと思ってたけど」

「ン〜〜〜そうねェ」

ファウストの問いかけに、ダナイはほんの少し首を傾げて、言った。

「あんたは良いのよ。最初から傷だらけで醜いもの♡…ワタシみたいに」

あっそ」

歪んだ笑顔を向けられて、ファウストは目を伏せた。この組織にいる人間は、つくづく歪だ。

ずるずると椅子を引きずり、縄の真下に設置して、ダナイが言う。

「さ〜準備ができたらおいでませ〜」

……

ファウストは指さされた椅子を見た。散見される血痕以外はごく普通の、見慣れた椅子だ。しかし今は処刑台である。



一歩踏み出す。椅子までのたった数メートルの距離が、無限に伸びる道のように感じられた。

体感としてはゆっくり、実際には数秒の時間をかけて、ファウストは椅子にたどり着く。椅子に足をかければ、ぎしりときしんだ音が鳴った。ダナイの手が頬の横を通り、ファウストの縫い目のある首に、太く重い縄がかかる。

ああ、もう自分は死ぬのだ。言いようもない倦怠感と、絶望がファウストの身を包んでゆく。


(……キティ)

真っ黒に染まる頭に、ふいによぎった言葉があった。

それは、かつての幼馴染の名。

1番親しかった自分だけが知っている、アザレアのもう一つの名前だ。


最近は、顔を合わせてもロクに会話すらできない日もあったけれど、本当はファウストとアザレアは険悪な仲ではなかった。むしろ、孤児院の中でもいつも2人でいるような、無二の親友だったはずだ。

あの火事さえなければ。アザレアが記憶をなくしさえしなければ。そのままの2人でいられたのだろうか。

(…やめよ)

今際の際に悔いを増やしてどうする、と思い直す。ここまで来たら、思考など邪魔なだけだ。


OK。じゃ、バイバイ魔女さん」


ダナイが椅子の端に足をかける。ファウストはぼんやりした視界にそれを見た。もう、現実のことなど頭にない。あるのはたくさんの後悔と、優しい思い出の走馬灯。


____!』

記憶の中のアザレアが、ファウストのあだ名を呼ぶ。遠くの方で手を振る姿が見えた気がした。

じわりと視界が滲む。

(…もう一回くらい、呼ばれたかったな)



ガタン、


乾いた音がして、彼の命を繋いでいた椅子が倒れた。



……ハ、地味」

今しがた蹴り飛ばした椅子、その上でゆらゆら揺れるブーツ。それを無感情に見つめながら、ダナイは独りごちた。