対峙するメルヴィルとファウスト。真剣な顔つきのファウストとは対照的に、メルヴィルは不思議そうに眉を寄せていた。
「お前たちの過去………だと?」
「そうだよ。何か知ってるでしょ」
なおも問い詰められ、メルヴィルはいよいよ困惑を顔に浮かべた。
「いや…知ってるも何も……いや、知ってるが、お前ら以上のことは何も知らないぞ…?」
「いいから!」
「………、…?」
ファウストの頑なな様子に顔を顰めたまま、メルヴィルは混乱の滲んだ声で渋々答える。
「…お前たちは、同じ孤児院で育った幼馴染だ。ある日………その孤児院が、火事になった」
天まで伸びる真っ赤な柱。
ごうごうと獣のような唸り声をあげる炎が、孤児院を丸ごと飲み込んでいく。
幼い頃の記憶がファウストの脳裏に広がった。
縫い目も、火傷跡もなかった自分達の姿。
幼かった2人は、実の家族こそいなかったけれど、狭い社会でそれなりに幸せに暮らしていた。
それを、あの日の業火が全て焼き払ったのだ。
2人で逃げて、逃げて、逃げた先で、大きな倒木が2人の間を引き裂いた。
それぞれ半身を蝕まれ、散り散りになって、死ぬ思いをしながら生きてきた。
左手に自然に力がこもって、微かに震える。
「お前たちは生き残った。…がアザレアはあの時の記憶を失っている。残ったのは右半身の火傷だけで……その後お前たちは別々のルートでここへ来て、再会した…と、お前が俺に説明したんじゃないか」
メルヴィルはそう結んで、じっとファウストを見る。己の答えに満足したかどうかを確かめるために。
そう、ファウストは加入時にそう彼に伝えた。アザレアが自分を覚えていないのはショックだったが、しかし説明する必要があると思った。
メルヴィルはその時も、詳しいことはまるで知らない様子で話を聞いていた。
ファウストは少し息を吐いて、問う。
「…他には?何かないの?」
「だから…これしか知らんと言ってるだろう。俺はお前の孤児院に行ったことすらないんだぞ」
するりとメルヴィルの口から出た一言。
それを聞いて、ファウストの目つきが一瞬鋭くなった。
「嘘吐き」
「…え?」
その言葉にメルヴィルは瞠目する。
ファウストは上着に手を突っ込むと、隠していた紙束をメルヴィルの眼前に突きつける。
それは彼ら2人にアザレアを加えた、3人分の履歴書だった。
メルヴィルは息を呑む。
「ここに、書いてある。あれ…メルサンが消火したんでしょう?」
とん、と彼の指が紙面を叩く。
そこには確かに、メルヴィルがあの火事を鎮静化した旨が記されていた。
知らないはずがない。訪れたことがないはずがないのだ。
「別に隠すことじゃない。…なのに、アンタは隠した。どういうこと?」
「…いや………」
メルヴィルが口籠る。態度こそ落ち着いて見えるが、先の言葉は続かない。
その様子に、ファウストは思わず唇を噛む。
「…火事の時期と、アンタの出世の時期がさ、一緒なんだよ」
まだ若いメルヴィルが組織の長を任せられるまでになったのは、その功績を讃えられてのことだったらしい。
全部、初耳だ。聞いたことがなかった。
単に言わなかったのか、隠されていたのか。
ファウストの嫌な考察は、すんでのところで確信を堪えている状態だった。
「これって…偶然?」
ファウストと、メルヴィルの目が合う。
それはファウストたちの過去を象徴するかのような、嫌な赤色だった。
+
気まずい沈黙を破るのは、いつだって声の大きい者の役目である。
そして現状、この談話室内で最も発言権のある男といえば、誰もが疑う余地がなかっただろう。
その男____エドウィンは、しかし、じっと一点を見つめて声を発さない。
次点として上がるはずのアザレアは、どうやら情報量が脳味噌の許容範囲を超えたらしい。真っ青な顔でこちらも押し黙ったままだ。
故に、静寂は破られることなく続いていた。
肌に刺さるようなひりついた空気(もっとも、彼にとっては全く意に解すべきものではないが)の中、エドウィンは考える。
(さて…俺はこのままレイモンドを野放しにしておくべきか、それとも否か?)
エドウィンはレイモンドを見据える。じっと見て、考えて、そうして彼に向かって声をかける。
「…様子がおかしいと思わないか?」
レイモンドはバッと振り返り、即座に口を開いた。
「長の…ですか」
「そうだ」
レイモンドは、案の定メルヴィルの態度を気にしているようだった。
「め、メル……?何が……?」
アザレアが戸惑ったように声を溢す。
「気づかなかったか?単細胞め。奴は明らかにこの事件を無理矢理終わらせようとしている。セラフィムの死をもってな」
馬鹿にしたように鼻を鳴らすエドウィンに、レイモンドの声が続く。
「そう…だって、セラフィムにリアンが殺せるとは思えない……なぜなら…」
アザレアはハッとした。
「…メルとセラフィムは一緒にいたから…」
リアンが殺された時、セラフィムは、まさにメルヴィルの真横にいたはずだ。いつものように、付き従うように。
その笑顔がたとえ作り物だったとしても、その事実は変わらない。
アザレアもそれを見ていた。
それに、だからこそメルヴィルはセラフィムを信頼し、部屋に入れたはずだ。
実際、アザレアが隠れて部屋を覗き見た時、メルヴィルから疑心の類は感じられなかった。
それなのに、他ならぬメルヴィルが彼を犯人とするなど、見当違いもいいところだ。
アザレアが事態を飲み込むのと同時に、ルッカとダナイが部屋に足を踏み入れる。
「はぁっ…よかった…!皆さん、まだここにいたんすね…!」
「ルッカ…!」「ダナイ!」
レイモンドとアザレアが顔を上げた。
セラフィムを殺した男。ふと頭をよぎった言葉にアザレアは思わず身構える。
ダナイはそれをなんとはなしに見下ろして、お子ちゃまねェ、と呟いた。
「あ?…ファウストはドコ行ったのよ?」
ダナイの言葉にルッカが振り向く。
「奴ならメルヴィルに着いて行ったぞ。執務室じゃないか?」
エドウィンがそう答えると、ルッカが顔を硬らせる。
「ボスと?……それ、あんまり良くないような……」
一行は、ルッカの表情から、メルヴィルに対する一抹の不信感を感じとった。胸の内の不安が1人でに募る。
「…ッ」
ふと、アザレアの胸中に焦燥が浮かぶ。
ざわざわと掻き乱されるような、嫌な予感が彼の脳を支配した。
「俺、見てくる!」
アザレアは弾かれたように体を起こし、金の髪をひらりと靡かせてメンバーの間をくぐり抜け、あっという間に扉を潜った。
「ちょ、アザレアさん…!?」
ルッカは追おうとするが、勢いよく振り返ったはずみに、その体がくらりと体制を崩す。
「……!!」
「やだァ♡ちょっと、危ないじゃな〜い!」
「す、すんません………」
ルッカは、真横に立っていたダナイに倒れ込む形でもたれかかった。
「…ルッカ…どうしたの?大丈夫…」
レイモンドが慌てながら近づいてくる。
「ただの疲労だろう…大騒ぎするな」
エドウィンが呆れ混じりに呟いた。
つかつかと高いヒールの音を響かせて皆のもとに歩いてきたエドウィンは、そのままスッと彼らの横を通り過ぎる。
「アンタはどこ行く気よ〜?」
ダナイに問われ、エドウィンは半身で振り返った。
目に入るのはレイモンドの姿。
(……)
少し考えて、彼はレイモンドを放置することに決めた。
動揺しているがまだボロを出すほどではない。何より、こちらから仕掛けるのはなんとなく興が乗らなかった。
(今は奴よりも、先にメルヴィルを叩くのが自然だろう)
そう言って逃げているだけかもしれないことに、彼は気づいていない。
少しずつ崩壊に向かうこの組織が、少しだけ恐ろしかった。
不思議なものだ。エドウィンはずっと、こんな組織なくなれば良いと願っていたはずだったのに。
彼はふいと顔を背け、吐き捨てるように溢した。
「教えると思うか?」
そうして闇に消えていくアザレアとエドウィンを、レイモンドがふいに目で追う。
しかしすぐにルッカに目線を戻した。
「…とりあえず…どこかに寝かそう。ダナイ……手伝って……」
「はァ〜〜??メンドクセ…」
「……お願いだから………」
レイモンドはダナイに半ば強引にもルッカの体を預け、部屋にあったソファに寝かせる。
「…すんません…全然力入んなくて……」
ルッカはくらくらする頭を軽く抑えながら言った。レイモンドが眉を顰める。
「…無理しないで」
「………ありがとうございます…」
「ッは〜〜……アタシももう行くわよォ?まだ魔女は見つかって無いんだから〜…」
ダナイは呆れ顔で踵を返すと、何やら文句を溢しながらアザレアとエドウィンと同じ轍を踏んでゆく。
部屋には2人きりになった。
どこともつかない空間を、ぼんやり眺めていたルッカの表情が曇る。
「…俺……疲れちゃったんすかね……」
無理もない、と自分でも思う。
リアンをはじめに見つけ、ダナイがセラフィムを殺すその直前に立ち合い、皆に知らせるために施設内を駆けずり回った。
決して大きくない彼の体には、荷が重すぎる。
「…こんなこと…いつまで続くんだろう…」
正直に言えば、とっくにルッカの精神は限界だった。
もともと血生臭いことは苦手なのに、それがこんなにリアルな恐怖を伴って襲ってくる日が来るなんて、想像だにしていなかったのだから。
「……」
レイモンドはじっとルッカを見た。
その目が、まるで品定めでもするかのように、ふらりと歪む。
(…演技には見えない…けど)
じわり、と疑心が心を蝕んでゆく。
普段の温厚な瞳の奥で、冷たく冷え切った心が顔を覗かせた。
ルッカはレイモンドを見ていないから、その表情には全く心配の色などないことに気づけない。
いや、見えていても、彼ならば見ないふりをするだろう。そのくらい露骨だった。本当はもうレイモンドに、表情まで取り繕うほどの余裕はない。
レイモンドはルッカを見ていながら、本当は全く別の人物のことを見ていた。
(……早く、見つけなきゃ…大切な仲間を…リアンを殺したのが誰なのか)
レイモンドはぎゅっと拳を握った。
人の焦燥と狂気は、とどまるところを知らないのだ。
+
場所は変わって、また執務室。
ひんやりと冷えた空気と、真っ赤な双眸のコントラストが妙に禍々しい。
「………」
メルヴィルは、問いに答えない。
ファウストは苛立ったように舌打ちをひとつこぼした。
先のみんなの前での態度。履歴書。
信じていた彼の姿に疑念のヒビが入っていく。
「例えばの話…だよ」
一向に喋らないメルヴィルに痺れを切らし、ファウストは一方的に話し始める。
「例えば…自分で壊した他人の花瓶を、綺麗に直して修理費を取るような、そういう話ってあるじゃん?詐欺の一種でさ。それと同じで………」
彼は目一杯、疑念を込めてメルヴィルを睨んだ。彼なりの、一世一代の賭けだった。
「…ボクらの孤児院を焼いたのは、アンタか?」
互いに空気が凍ったのを肌で感じた。
ファウストの表情は真剣そのもので、決して冗談なんかじゃないのは一目瞭然だった。
「………ファウスト」
一転。
静かな声でメルヴィルが呼ぶ。自身の微かな震えを自覚しながら、決して相手に気取られまいと、ファウストは凛とした目付きで応じた。
それを見て小さく息を吐いて、メルヴィルは頭を軽く横に振った。
「…こんな状況だ。混乱するのも、不安になるのも無理はない。お前はまだ若いから」
ゆっくり一歩ずつ。微かにコートをひらめかせながら、メルヴィルが近づいてくる。その表情は静かだ。まるで、我が子を諭す父親のように。
「誰かを非難したい気持ちだってわかるさ。だが…皆まで余計不安にさせるようなことを言うのは良くないぞ」
こつ、と足音がファウストの真横で止まる。メルヴィルの大きな手が、ファウストの背後の扉を控えめにノックする。もう帰れ、とでも言いたいのだろう。
けれどファウストの足は動かない。
「……メルサン」
ぽつりと溢した声は酷く鋭い響きを孕んでいた。
「なんで違うって言わないの?」
一言否定されたら、それで納得するつもりだった。
「……なんで………か」
真横に立つメルヴィルが呟く。
ファウストは全身に気を張り巡らせながら、まだ心の中では祈っていた。
どうか、否定してくれと。自分の勘違いであってくれと。
バツが悪そうに眉を下げて、事情があったのだと、自分にとって都合の良い真実を語る彼を望んでいた。
ゆっくりと踵を返し、メルヴィルは扉から離れていく。自分の机まで着いたところで、もう一度くるりとこちらを向いた。
彼は笑っていた。
「申し訳ないが、ファウスト。俺からは何も語るつもりはない」
ファウストの願いは簡単に打ち砕かれた。
「………」
平素の会話ならなんで?と笑うであろう彼は、何も言葉を発せないまま、メルヴィルを見据えている。
そんなファウストを見てメルヴィルはまた笑った。今度は控えめながらも声を上げて。
まるで、彼を嘲笑うかのように。
「なぁファウスト。今お前の目に、俺はどう写ってる?…口もききたくない程の大悪党にでも見えてるのか?」
突き刺すような、抉るような。彼の口からは聞いたことのない声音がファウストを貫く。
ファウストは声に導かれるように顔を上げる。
目の前には、見たこともないような顔で笑うメルヴィルがいた。
彼は三日月型に目を細めて言う。
「丁度偽善者の真似事には飽き飽きしていてな!そうだ、俺は……俺こそが、貴様の孤児院を焼いた張本人だ」
「…………ッ」
ずっと隠していた。世間にバレてしまえば地位に影響が出るから。
けれどもうバレてしまっているのならば、道化を演じることなど滑稽なだけ。
化けの皮を捨てた彼は、まるで魔女の如き邪悪を持った男だった。
ぞわり、悪寒がファウストの背を這い上る。
歯を強く食いしばって、感情のままに叫んだ。
「ずっと…騙してたってわけかよ…!!」
「ああそうだ」
ファウストとは対照的に、メルヴィルがあっけらかんと答える。
「無論、貴様ら2人のことはよォ…く知っているよ。俺のしたことを公表でもされたら困るからな」
そう言って白々しく肩をすくめてみせた。
「だが貴様が馬鹿で助かった!公表どころか気づいてすらいないと知って、笑いを抑えるのに必死だったよ!」
ははは、と軽く笑う姿は普段と変わらない。それがかえって気味が悪い。
「…殺してやる」
怒りか失望か、湧き上がる感情がファウストの体を震えさせた。
ぐるぐる巡った思考は、そのままの勢いでドス黒い殺意を生み出した。
しかしメルヴィルはなおも余裕そうに言う。
「貴様如きが?まだ俺を笑わせたいのか?」
「……ッ」
ファウストはぎり、と唇を噛んだ。
(…こんな奴に)
こんな奴に騙されていたのか。
怒りや悲しみと同時に、悔しさが身体中に広がった。
ずっと信じていたのに。否、今この瞬間だって信じ続けたかったのに。
優しかった彼の姿が頭の中で走馬灯のようにフラッシュバックした。
(……)
ふと、メルヴィルの耳に微かな物音が届く。
耳を澄ませ、その音の正体に気づいた彼は、微かにほくそ笑みファウストに近づく。
ファウストは彼を警戒して2、3歩後ずさった。
「近づくなよ!!」
「はは、そう怖がるなよ。馬鹿な貴様にもう一つ教えてやろうと言うんだから」
「は………?」
後退する足が止まる。
ファウストは訝しげな顔でメルヴィルを見る。
「かつて貴様を治療した女……キャロル・ラッセルだが」
ざわ、と首筋が粟立った。
「……どうしてお前が、」
「あの魔女は俺が殺した」
ねじ伏せるように。
明確な悪意を込めた声が脳髄に届く。
「貴様の居場所も、アザレアも、命の恩人も、全て壊したのは俺だ」
ファウストが拳銃に手を伸ばしたのは、ほとんど無意識のことだった。
パンッ
鋭い音と白い煙。
「……ッ、くく…」
メルヴィルの左の肩口…否、肩を庇った右掌からぽたりと赤い血が滴る。
「はぁッ、はぁ……ッ!!」
ファウストは目を血走らせ、短く息を吸った。彼の震える銃口は、まだメルヴィルを捉えている。
心臓を狙えなかったのは、怒りで思考が冷静を保てなかったせいだろうか。それとも、ただの迷いだろうか。
「……ファウスト……?」
「……え?」
不意に後ろから声がした。
ファウストは反射的に背後を振り返る。拳銃をその手に持ったまま。
彼の背後には、たった今この場に居合わせてしまったばかりの、何も知らないアザレアがいた。