広い部屋には、ペンを走らせる神経質な音が響いていた。
書いて、止まって、また書いたと思えばすぐに止まる。文面を考えあぐねたまま書き出したせいで、その報告書の進み具合はお世辞にも快調とは言えなかった。
その音が、ついに完全に止まったのは、つい先程のことだった。
メルヴィルは手に持つペンを置いて、顔を上げた。
「…わかった。すぐ行こう」
彼の目の前に立つルッカは、真っ青な顔をしたまま半ば呆然としている。
メルヴィルは席を立つと、ルッカの前まで進み出ていった。
「…疲れてるな、無理もない。みんなには俺が言っておくから、お前は休んでいなさい」
「…ボス、」
何かを言おうとしたルッカを、メルヴィルは手のひらで制した。
「ダナイと合流したら、後で談話室へ向かうつもりだ。何かあればそこへ来い」
それだけ告げると、メルヴィルはルッカの返答を待たずに足速に部屋を後にした。
「………」
ルッカは呆然と閉まった扉を見つめる。
1人でいると、無駄に頭が働いてしまう。考えることは苦手なのに。
彼の足は無意識に扉の前まで近づいて、けれどその一歩手前で止まってしまう。
(セラフィムさんは…どうなったんだろう…)
嫌でも思考が巡る。
本当に彼は魔女だったんだろうか。
確かに少しだけ怖い人だったけれど、礼儀正しくて、良い人で、ずっと一緒にいた仲間だった。
柔和に笑う彼の顔は、まだ脳裏に鮮明に映し出すことができる。
さっきだって別に普段と違うことなんて何もなかったはずなんだ。
(でも)
まだ1人も殺していないのに。彼はそう言った。本能で死の危機を悟り、咄嗟に出たであろうあの言葉は、彼の本性を正しく示していたのだろう。
しかしその一方で、ルッカの頭に浮かんだひとつの考えがあった。
(…じゃあ、リアンさんを殺したのって…セラフィムさんじゃない、よな)
もしかしたら、やっぱり彼は魔女なんかじゃないんじゃないか。彼は冤罪なんじゃないか。今行けばまだ間に合うんじゃないか。
そう思って、ルッカの手は扉にかかる。
しかしそれ以上動かない。行ってどうすると言うのだ。今ボスが向かったところじゃないか。
自分なんかが向かったところで、ダナイを説得なんてできるんだろうか。
ぐるぐる、ぐるぐる。
無意味だとわかっているのに、答えなんて出ないのに、それでも彼の思考は回り続ける。
(………そもそも、魔女って何なんだよ)
そうして結局、いつも同じ問いに返ってくるのだ。
「……わかんないよ……」
ひとりぼっちの部屋。彼1人には些か広すぎる空間の中で、ルッカは膝を抱えて蹲った。
思考は止まらない。焦燥は治らない。
けれど、彼1人ではどうすることもできない。
頼みの綱だったメルヴィルの靴の音は、もう随分と前に聞こえなくなってしまった。
+
扉越しでもわかるほどの濃い血の匂いに、メルヴィルは顔を顰める。
ルッカに言われてやってきた資料室。中に入らずとも、何が起こっているのかは明らかだった。
(…ルッカは見ていないだろうな……)
彼の様子からすると、恐らく、事が起こる前に部屋を飛び出してきたのだろう。彼がその瞬間を目撃していないのは不幸中の幸いであっただろうか。
鈍い音を立てて軋む扉を開いて、中に居るはずの男に声をかける。
「……ダナイ」
「…あらァ…?遅かったじゃな〜い『ボス』?」
室内には、返り血で真っ赤に染まったダナイが立っていた。
つん、と、先程より濃厚で、思わず口を覆わざるを得ないほどの臭いが立ち込める。
ダナイの足元には、見覚えのあるカシミアベージュの髪がごろりと転がっていた。
メルヴィルは自分の側近であったものと、ダナイを交互に見回して呻き声を上げた。
「…酷い有様だな…ここで殺す必要はなかっただろう。大切な書類に血をつけたら怒るぞ」
「嫌ねぇ、つけてないわよ〜…アタイがそんなヘマするわけナイじゃなァ〜い??」
「……ああ、それもそうだな」
低く暗い声で返事をし、メルヴィルは地面に転がるセラフィムに歩み寄る。
思わず目を背けたくなるような、凄惨な姿をなるべく見ないようにしながら、血に染まった体を抱え上げた。少し前、リアンを運んだ時と同じように。
それを見て、ダナイはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「ハ…普段の仲良しごっこはやらなくていいわけェ?泣いたり怒ったりさァ〜…それともやっぱ全部作りモノなのかしら」
「馬鹿言え」
即座にメルヴィルは否定の声を上げた。
「俺は今冷静になろうと必死なんだ。…わからないか?だから協調性がないと言われるんだぞ、ダナイ」
顔を上げ、ダナイを見据える。赤い双眸には、確かに怒りの色が滲んでいた。
「…わッかんねーのよ。気色悪い」
ダナイはそう吐き捨てた。
メルヴィルはそうかと呟いて、ダナイから目を逸らした。
「……だが…兎にも角にも、これでこの一件が落ち着くだろうことに変わりはない。その点では本当に良かったと思っているよ」
仲間内での疑り合いや、誹り合いなど誰だって見たいものではないだろう。メルヴィルもまた、この突然の事件に特に頭を悩まされる1人であった。
「あら、全然解決してないわよ」
しかし、ダナイはそう切り捨てる。
「……何?」
「そいつ、まだ誰も殺してないって言ってたわ〜…だから犯人じゃないわよォ」
ダナイはただ、彼が魔女であったから殺しただけ。リアンを殺したから制裁を加えたわけではなかった。
「犯人の魔女は別にいるんじゃないかしらァ?クソみたいな話よねェ、こんな小規模の組織に複数魔女がいるなんてェ〜…」
ちゃんとチェックしてんのかいな、とダナイはメルヴィルを睨む。
メルヴィルは少しだけ目を見開くと、ぱち、と数度瞬いて、次いで何かを考え込むように伏せた。
「…いや、解決したさ。魔女を殺したんだ。これで終わりだ」
「……はァ?」
訝しげに声を上げるダナイを気遣うことなく、メルヴィルは彼の服を指さして告げる。
「お前は、まずその血をなんとかしろ。それから談話室に来い。多分みんなそこにいるだろうから」
「…ちょっと待ちなさいな」
メルヴィルがダナイの言葉に耳を貸している様子はない。彼は一方的に指示を出すと、くるりと踵を返して部屋を出ようとする。
「オイまさか、おブスたちにそうやって説明する気じゃないでしょうね?冗談じゃないわよ!?魔女がいるなら殺すのがここのルールでしょうが!!」
「………」
扉を閉める直前、メルヴィルは不意に振り返った。その目はダナイを見、真っ赤になった部屋の床を見たが、彼はそれ以上何かを口にすることはなかった。
資料室の扉は、鈍い音を立ててダナイとメルヴィルの間に壁を作る。
「……ふざけんじゃないわよ…!」
ダナイはメルヴィルの背を追いかけるように扉を乱暴に開け放つ。しかしその先にすでにメルヴィルの姿はなかった。
「………」
ダナイの心に、ふつふつとドス黒いものが湧き上がる。力んだ口角は吊り上がって、まるで笑っているようだった。
+
「あ"ーーー我慢できない!マジでみんな遅くない!?」
ガタン!と大きな音が響いた。アザレアが座っていた椅子を蹴り倒したのだ。
「あっ…アザレア」
「もう満足したよね!?俺行くから!」
もうアザレアは我慢の限界だった。何度目かの静止の声をついに無視して、扉に手をかける。
内開きの戸を勢いよく引き、一歩を踏み出そうと右足を上げる。
「うわッ」
「ん?」
進もうとした道の先から声が上がったのを聞いて、アザレアはぴたりと動きを止めた。
「……うわ、ファウスト!」
「…ファウスト?」
アザレアの後ろからレイモンドが控えめに顔を覗かせる。
開いた扉の向こう側にいたのは、何やら強ばった顔つきのファウストだった。
「よりによってファウスト〜〜??全然頼りになんないじゃん!」
「……別にキミに用事があるわけじゃないんだけど。どいてくれる」
げぇ、とあからさまに不満を晒すアザレアに、手振りで邪魔だと告げて、ファウストは部屋の中をぐるりと見渡した。
…が、目当ての人影はなかったのか、少しだけ眉を顰める。ファウストは奥にいたレイモンドとエドウィンに向けて声をかけた。
「……メルサンがいるって聞いたんだけど、まだ来てない感じ?」
レイモンドは少し首を傾げる。
「……長…?来てないけど…」
「…それは誰に聞いた?」
エドウィンが問う。
「ルッカに。メルサンの部屋行ったらいたんだ。後で来るって言ってたよ」
「ルッカが……」
レイモンドが繰り返す。こんな状況下だ。仲間の安否が確認できただけでも少なからず安堵できるのかもしれない。
ファウストは一つ溜息を吐くと、扉から離れて近くの壁にもたれかかった。
「………いいや。このままここで待ってるしかないか」
彼の表情は依然として固い。そんなファウストを見ながら、不意にレイモンドが少し考えるような素振りを見せた。
「……でも、長がここに来るって…なんの用事なんだろう……」
ぽつり、零した言葉に数人がはっと動きを止める。
「……もしかして…魔女が見つかったとか!?」
アザレアが大きな声を上げる。
「フン、今更か」
エドウィンは悠々と座り、足を組み替えた。
「……」
ファウストは真剣な表情を崩さない。話を聞いているような、はたまた別のことを考えているような、そんな態度だ。
「見つかった……って…一体誰が…」
レイモンドは表情を曇らせる。
「……魔女は…俺たちの中の誰かだって…」
ぐるりと、彼の目が部屋を見回した。
ファウスト、アザレア、エドウィン、それとレイモンド。メルヴィルとルッカも違うとなると、残りはダナイと_______
「ハッ!たかが憶測で盛り上がるとは幼稚なものだな」
思考を掻き消すかのように、エドウィンの凛と通った声が響いた。
レイモンドはハッとして口をつぐむ。
「喜ぶなら奴がやってきてからにしたらどうだ?…もっとも、お前達の望むような話が待っているとは限らんが」
「エドウィン、いちいちうるさーい!」
アザレアが眉を寄せて、うんざりした声を上げる。エドウィンはそれを軽く鼻で笑った。
ほどなくして、談話室の扉が再度軋む。
ギィ…という微かな音を聞いて、その場の全員が扉に目を向けた。
「皆、いるか?」
扉の影からメルヴィルが中を伺った。全員に目をやって、それから室内へ足を踏み入れる。
「メル!何かあったの?」
アザレアが問うと、メルヴィルはああ、と返事をした。
「魔女を見つけた」
ハッと息を呑む音が響いた。
アザレアは思わずといったふうに皆を振り向く。レイモンドは驚いて目を瞬かせ、ファウストはもたれていた壁から少しだけ体を起こした。
エドウィンは眉を寄せてじっと室内の様子を見つめ、少しして口を開いた。
「誰だ?」
メルヴィルは一呼吸だけおいて、淡々とした声で答えた。
「セラフィムだ」
「え……………ッ?」
「…セラフィム、が…………?」
皆の戸惑いで空気が震える。
アザレアの顔がさっと青白く染まった。
「ど、どうして…?だってセラフィム…」
アザレアの脳裏に、執務室で会話するメルヴィルとセラフィムの姿がフラッシュバックする。
(じゃあ、セラフィムは…自分がやったことを、ルッカのせいにしようとしてたの?)
アザレアは、セラフィムがリアンを殺した犯人でないことを知らない。故に生まれた勘違いによるショックは、アザレアにはいささか大きかった。
「そんな………っ」
声が震える。エドウィンやレイモンドと話していたことで落ち着いた心が、またざわめき始めたのだ。
「…ダナイが見つけて……急で悪いが、処刑まで終わってる」
続けてメルヴィルはそう語る。
「…!?………それ、って……」
ファウストが思わず声を上げる。微かな体の震えが伝わって、帽子についた蝶の飾りがゆらりと揺れた。
「…緊急だからといって、あまりにも杜撰じゃないか?」
「わかっている、すまない。だがもう起こったことは消せない。過去は変わらない」
苦言を呈すエドウィンを制するように、メルヴィルは言葉を並べた。
「……」
一同は言葉を失う。空気が重くのしかかってくるようだった。
その表情は皆異なっていたが、誰もがセラフィムの死に少なからず衝撃を受けていることは明らかだった。
レイモンドがか細い息と共に、無意識にか小さく呟く。
「……そんな……違う……セラフィムは裏切り者なんかじゃない……」
エドウィンは目線だけをレイモンドに投げた。
レイモンドの声には恐怖以外に困惑の色が見える。
まるで、セラフィムが裏切り者ではないと、初めから確信があったかのような。
(……やはり、何か知っている)
エドウィンはそう確信した。
2人の様子を知ってか知らずか、メルヴィルは室内の面々に向かってこう話した。
「…すぐに理解するのは難しいだろうこともわかっている。ゆっくり飲み込めばいいさ。もう終わったのだから、急ぐ必要もないだろう」
彼は、終わったという言葉を少しだけ強調した。レイモンドがぱっと顔を上げてメルヴィルを見る。
エドウィンやファウスト、アザレアも、その強張った表情を緩めることはない。
予想通りの反応に、メルヴィルは溜息をついた。
「…俺は仕事があるから、また部屋に戻るぞ。……セラフィムの件を上に報告しなきゃいけない」
そうしてまた足早に談話室を去ろうとするメルヴィルを、ファウストが呼び止める。
「待って、メルサン!ボクも行く」
メルヴィルは少しの間静止すると、眉間に皺を寄せてファウストを見る。
「………ファウスト…仕事だって言ったよな」
「だってメルサンずっと部屋に引きこもってるから。たまには話そうよ、いいでしょ?」
「……………だが……」
「いいから!ほら行くよ!」
ファウストは強引にメルヴィルの右腕を引っ張って室外へ連れ出す。
メルヴィルはずっと顔を顰めていたが、無理矢理振り払うようなことはしなかった。
+
執務室には、相変わらずルッカ以外の人影はない。
ルッカは椅子にも座らずに、部屋の隅でうずくまっている。
メルヴィルがこの部屋を去ってからどれだけ経っただろうか、ずっと纏まらない思考をなんとか纏めようと躍起になっていた。
(……もう、考えたくないな…)
沈んだ思考は浮き上がることもなく、ただ陰鬱とした気分が深まっていくだけだ。
ルッカはおもむろに立ち上がる。
彼はおぼつかない足取りで執務室を後にした。
とにかく別のことを考えたかったのだ。
大きな扉を軋ませながら外に出ると、ひやりとした空気が頬を撫でた。
石造の床が彼の足音を反射する。
(………)
ルッカは目的もなく、ただ足の向かう方に歩いた。無心で歩いていると、頭を空っぽにできて、楽だった。
ぼんやりしながら廊下を進見続ける。
不意に、視界に何かの影がよぎった。
「_____!」
慌てて避けようとした時には遅かった。ドン、とルッカの体に軽い衝撃が走る。
「うわっ!?すいません!」
咄嗟に謝罪の言葉が口をつく。
「あ?」
少し上から、不機嫌そうな声が降ってきた。
慌ててルッカは顔を上げる。視線の先には漆黒の髪が揺れていた。
「………あ…ダナイさん……」
「やだあんた酷い顔〜〜♡おブスに磨きかけちゃってどーすんの〜??」
ダナイは綺麗な制服を身につけて、いつも通りの姿で立っている。
彼はにたりと口元を歪ませてルッカを見た。
ルッカは釣られるように苦笑を顔に浮かべ、ダナイから距離を取るように後退した。
「…ダナイさん……セラフィムさんは…」
「あら、聞きたいの?」
続く言葉をばっさり遮って、ダナイはそう言う。
「_____ッ」
ルッカはぐっと喉を詰まらせた。
ぶわ、と、止めたはずの嫌な考えが蘇る。
「………い、え……大丈夫っす………」
「そ」
なんとか絞り出した答えに、 ダナイはつまらなそうに返事をする。
それからすぐに畳み掛けるようにルッカに質問を投げかけた。
「そんなことよりさァ〜…あんた、メルヴィル見てない〜?」
「ボスっすか…?ちょっと前に別れたきり会ってないっすけど…」
そう言うと、ダナイは不機嫌そうな表情を浮かべる。
「じゃ、あんたも探すの手伝いなさい〜?あのペテン師野郎を捕まえるために」
「……?ちょっと待ってください、何のことっすか?」
ルッカは困惑してダナイを見る。
「アラ知らないの〜?」
ダナイはその大きな目をほんの少し細めて答えた。
「あいつ、魔女が他にもいるって可能性を他の奴に伝えないつもりなのよォ〜…ここは魔女を狩る組織なのに、よ〜?」
「え…………っ?」
ルッカは瞠目する。
「そんな…っ危険じゃないですか!?もし他にも犠牲者が出たら………!!」
「アー……ま、そーね〜♡あんた的にはそんな感じよねェ〜」
ダナイは曖昧な表情でそう呟いた。
「ダナイさん、行きましょう!ボスは確か談話室に行くって言ってました!」
ルッカは身を翻すと、居ても立っても居られない様子で走り出した。
「は?ちょっと、あんたそれ先に言いなさいな!」
ダナイが呆れたように叫ぶ。彼は俊敏に足を動かし、すぐさまルッカに続いて駆け出した。
+
ルッカかいなくなってから幾ばくかの時間が過ぎた頃、再び執務室の扉が開いた。
「………ルッカ?」
「あれ?いないじゃん」
中を伺うのはメルヴィルとファウストだ。2人ともいるはずのルッカを探して怪訝そうな顔をしている。
「…入れ違ったのか?そう広い建物では無いんだが……」
メルヴィルの言葉に、ファウストは室内や廊下をキョロキョロと見回した。眉を顰め、不安そうに目線を泳がせている。
「心配なら戻るか?」
メルヴィルはファウストにそう声をかけた。
ファウストが、普段の言動とは裏腹に仲間思いであることを、組織の長であるメルヴィルはよく知っていた。
しかしファウストはぐっと口を真一文字に結び、小さく首を振る。
「……いい。すぐ済むはずの用事だから」
「…そうか」
メルヴィルはファウストを中へ通し、後ろ手に扉を閉めた。
「悪いが、書類整理をしながらで良いか?」
自身の机に歩み寄りながら問う。ファウストは文句も言わずに「いいよ」と承諾した。
「すまないな、ありがとう」
メルヴィルはファウストに礼を言いながら、ガサガサと書類を積み上げる。
ファウストはその様子をじっと見つめていた。
その時、メルヴィルはファウストの真剣そうな表情に気付いた。
彼はメルヴィルに話しかけるタイミングを一生懸命探っているようでもあった。
2人の間に、少しの間沈黙が流れる。
「……ねぇ、メルサン。それで、ちょっと聞きたいんだけど」
ファウストは意を決したようにそう切り出した。
「なんだ?」
メルヴィルは一言返事をする。
しかしファウストはすぐには声を出さない。また少し、静かな時間が過ぎた。
「……教えて欲しいんだ。知っていること、全部」
ファウストは顔を上げ、まっすぐにメルヴィルを見た。
「俺と……アザレアの過去について、知っていることがあるんでしょう」
それはファウストにとってとても重要な、何よりも切迫した問題だった。