頑なにレイモンドを疑うエドウィンと、弱々しくそれを否定し続けるレイモンド。
両者の間に意図せずして挟まってしまったアザレアは、必死に頭を回転させて事態を飲み込もうとしていた。
が、日頃さほど使われていない彼の頭脳が、そんなに簡単に解を導き出せるはずがなかったのだ。
「わかんない」
言葉はするりと口からこぼれた。
「は?」
エドウィンが眉を顰める。
「だってわかんないもん。エドウィンが言うならそんなような気もするし」
「え……っ!?」
レイモンドが身をすくませた。しかしアザレアは「でもー」と声を上げる。
「すぐ決めつけるのはダメだと思う。タンラクテキ!タンサイボウ!」
「……何だと……?」
「エドウィンってすぐ怒るよねー」
ふーっとため息をつきながらアザレアが言う。先ほどまでとはうってかわった様子の彼に、レイモンドは困惑した瞳を向けた。
「だからぁ、もっと皆に聞いてみたほうが良いよ!メルとか!」
「あの様子じゃ頼りにならんだろうが……」
「と、に、か、く!」
びし、と指を突きつけて、アザレアは主張する。
「1人の意見じゃ信用できない!大事なことなら相談しろって前に言われたし!」
「………」
エドウィンが大きく溜息をついた。対するアザレアはてこでも動かない構えで仁王立ちしている。
エドウィンは、自身の真横で不安の影を濃くするレイモンドを一瞥し、
「もういい、勝手にしろ」
と踵を返した。
「……!」
途端、レイモンドの肩から力が抜ける。
「……アザレア……ありが、」
「別に助けたわけじゃないし、フツーに疑ってはいるからね」
「……あ…うん…」
「今後どうなったって俺は責任は取らんぞ」
萎縮するレイモンドの後ろから、椅子に座り直したエドウィンが念を押した。
「俺もエドウィンが後で謝るハメになっても助けないからだいじょーぶ」
「…口だけは達者だな」
毒づくエドウィンの言葉は、残念ながら彼にはあまり届かない。
「そうと決まればみんなを呼びに行かなきゃ!」
「あ、…でも、あんまりバラバラになるのは…」
「え?じゃあ待つの?待つだけとか嫌ーい」
「……」
レイモンドはどうしたものかと首を傾げる。
堅実な彼は、疑われる危険を冒してまで、何が起こっているかわからない部屋の外に出るよりは、ルッカやファウストの帰りを待つ方が安全だと考えたのだ。
実際、彼の考えは正しかったのかもしれない。
彼らの知らない間に、別の場所では、また一つ新たな事件が発生していたのだから。
+
___少し時を遡る。
場所は談話室、ルッカは依然として一人きりでこの部屋にいる。
堅実な彼のもとに、1人の来訪者の影が忍び寄っていることには、まだ誰も気づいていない。
コンコン、という控えめなノックの音を聴いて、ルッカは顔を上げた。
「……?」
ノック音はしたものの、誰も扉を開ける気配が無い。廊下は不気味なほど静まり返っている。
コンコン。もう一度、同じ調子で扉が鳴いた。
「………誰、すか」
恐る恐る声を出す。ルッカは、自分が今置かれている状況が、普段とは少し異質なものであることに気が付いていた。
じっと、扉を見つめる。依然としてそれは動かない。…もしかして自分の気のせいではないか?と、そう思いはじめた時だった。
「その声はルッカさんですか?」
聴き慣れた、仲間の声がした。
ルッカはほっと胸を撫で下ろす。
「なぁんだ、セラフィムさんっすか…」
「すみません。驚かせてしまいましたか」
「いっ、いえ!まさか!」
魔女だったら?幻聴だったら?…なんて思っていたとは言えない。きまりが悪くて、慌てて否定した。
ルッカは今まで見ていた資料を慌てて整理しながら、扉の向こうに話しかける。
「セラフィムさんも資料見にきたんすか?」
「ええ、そんなところです」
「入ってきていいっすよ?…あ、荷物とか持ってるんですかね、開けましょうか」
「…ああ、そうですね。そうしていただけると、助かります」
言われるがまま、ルッカは扉に手をかける。持ち前の人の良さによって、いや、それとも束の間の安堵からくる油断だろうか、彼は扉の向こうにいる男の本性をただの一度も疑わなかった。
+
セラフィムは内心喜びに舞い上がりそうな心地を感じていた。
彼はこう考えた。メルヴィルにあらかじめルッカを疑うよう仕向け、その後自分がルッカを殺す。ルッカを殺し終わったら俺は、普段に似合わぬ少し焦った様子でメルヴィルの元に戻ろう。
「ルッカさんに襲われて、抵抗するうちに誤って…」とでも言いながら。
今から胸が躍る。同じような方法で何人殺そう。
まだ若い奴らなら、パニックで激情して、向こうから襲ってくれるかもしれない。正当防衛で2人くらいは殺せるだろうか。
しかも、この騒動で死ねば死ぬほど、上はきっと責任をメルヴィルに押し付けようとするだろう。そうすれば奴は辞任、俺が長になれる。
(そうすれば、きっと、もっと殺せる…!)
何もかも嘘で塗り固められた補佐役は、心の中でほくそ笑む。完璧だ。
長かった計画が、やっと実を結ぶ。
ギィ、と音を立てて彼の目の前の扉が開いた。
すかさず身体を滑り込ませるように室内に____
「アラあんたら、ここにいたのね〜」
__侵入しようとしたセラフィムの動きが止まる。
「あれ?ダナイさんもいるんすか」
ルッカの声に、弾かれたように後方を見やる。セラフィムの背後には、先程まではいなかったはずのダナイが立っていた。
「何驚いてんのよ…もしかしてェ…やましいことでもあったのかしらァ〜♡」
「……まさか」
じ……と腹の底まで見透かすような視線が痛い。
セラフィムは極めて自然な動きに努めながら、そっと開いた扉から中に入る。
「…あれ?セラフィムさん、荷物持ってたんじゃ……?」
「そんなこと一度も言ってませんよ」
「えっ!?」
「ふふ、ルッカさんが優しいので、甘えてしまいました」
「洒落臭いことやってんじゃないわよォ……」
にこ、と愛想笑いを浮かべる。大丈夫、いつものことだ。
少しだけ狂った計画をもう一度練り直しながら、資料を取りに来たフリをして棚に近寄る。
「こんなのチマチマ調べちゃってさ〜意味あるのかしらねェ〜?」
「…俺には、このくらいしかできないっすから…」
ダナイは、ルッカの持っていた資料をさほど興味もなさそうに一瞥する。
「……あら、これ」
ふと、ダナイの目が一枚の資料にとまった。
「ああ、それっすか?……えっと、ヴォ……」
「ヴォーコルベイユね。魔女の一族の話でしょォ〜?資料残ってたのねェ〜」
セラフィムはそっと後ろを盗み見た。
ヴォーコルベイユ。その名に、なんとなく聞き覚えがあったのだ。
「これぇ、随分追って根絶やしにしたんでしょぉ〜?付近に住んでる別の家まで追って調べたって聞いたわよォ」
「へぇ……そんなに頑張ったんすね…」
「ほらここ、いくつか書いてあるじゃなァい?サーパンテッサ、マヤ、それから……コロン」
「「えっ?」」
ルッカと、セラフィムの声が重なった。
突然のことに、セラフィムは頭を殴られた気分だった。コロン、という名は知っている。
知っているどころか、コロン家は、セラフィムの育った家だ。
セラフィムは、本名をパトリス=コロンという。いや、本当はそれだって、親に貰った名前じゃない。
セラフィムに本名は無い。今の名はメルヴィルが、前の名は、捨て子の彼を拾った義父母が付けた名だ。
……義父母。そう。セラフィムは捨て子だったのだ。本当の生まれは、彼自身も覚えていなかった。
彼は、本当はどこで生まれたのだろう。
嫌な想像が、咄嗟に頭をよぎった。
セラフィムはルッカの方に目をやる。
…目が合う。ルッカは、驚いた様子でこちらを見ていた。
そこで、セラフィムは、ようやくルッカが何の資料を持っているのかに気がついた。
(…………履歴書)
一番上になっていたのは、セラフィムのものだ。
書かれている名前は____二つ。
それだけの情報で、ルッカが何を考えているのか、セラフィムは容易に察することができた。
「………………!」
バレた。
それは、本当に咄嗟のことだった。
セラフィムの中にあった防衛本能は、今すぐ逃げろと彼に告げていたのだ。
その声のままに、足に力を込め飛び退く。
「セラフィムさんッ!?」
「待ちな!!」
すぐさま飛びかかったダナイがセラフィムの腕を掴んだ。
「……ッ!」
大袈裟な音を立てて、セラフィムの体が床に倒される。
「今ァ……何に気づいたの?吐きなさいな」
ダナイの大きな眼がセラフィムをとらえた。
「………」
セラフィムは答えない。
ダナイの手に力が篭った。
「おいおブス」
「…えっ俺っすか!?」
「何に気づいたか教えなさいな」
ダナイはルッカをちらりともみずにそう言った。
「……え、えっと…その、これ、セラフィムさんの資料なんですけど……」
ルッカが、半ば迷いながら、ダナイにそれを差し出す。ダナイは後ろ手にそれを受け取った。
「………パトリス……コロン」
「…じゃあ…セラフィムさんって…ヴォーコルベイユ家に何か関わりが……」
「やっぱブスだと頭もおバカちゃまなのねぇ〜?たかが関係がある程度でこんなに取り乱すと思ってんのかいな」
ダナイは確信を持ってセラフィムを見下ろした。彼の白い瞳の奥で、激情が渦巻く。
「ねぇセラフィム…いえ、魔女さん?」
「…………ッ違う……」
セラフィムはもがく様に呟いた。
「ま、待ってください、あまりにも確証がなさすぎるじゃないですか!」
ルッカが耐えられずに声を上げる。しかし、ダナイはそれを一言で切り捨てた。
「疑わしきは罰するのが魔女狩りでしょ〜?」
「…っ俺、ボス呼んできます!」
「要らないわよ」
「…………呼んできます」
いうや否や、ルッカは2人の方を見ずに部屋を飛び出した。
「…意気地なし」
「……」
セラフィムはぎり、と歯噛みした。
失敗だった。それもあまりに痛烈な。ここまで練り上げてきた計画が、たったひとつの予想外で崩れてしまった。
「嫌だ………!何のためにここに来たと思ってる!!」
ルッカが驚いた様にセラフィムを見た。構わない。どうせもう終わりだと思った。
「まだ1人も殺してないのに……!こんなところで終わるなんて、」
ガキンッ
セラフィムの言葉を遮ったのは、大きな金属音。大きな時計の針を模したダナイの愛用武器が、石造の床の隙間に器用に突き刺さっている。
「魔女さんの遺言とか聞く趣味ないのよォ」
ダナイのギラギラした目がセラフィムの顔を覗き込んだ。
「遺言、とかァ…要らないわよね〜?魔女…というか、裏切り者確定だもの〜♡」
針の先がゆっくり床から這い出してくる。
鋭い音とともに弧を描いたそれは、真っ直ぐにセラフィムの眼前に落ちてきた。
ぶつり、
微かに鈍い音を立てて、床に赤い花が咲く。
何度も、執拗に、顔ばかりを狙って突き立てられる悪意。
叫び声は、そのうち聞こえなくなった。
「…フン。似合うわよ、このブス」
血に塗れた頬を歪ませて、ダナイが笑う。
死の間際、セラフィムは何を思ったのだろう。
…ダナイには全く興味はなかった。
+
「………帰ってこないね…」
「だから待ってるの嫌だって言ったのに!」
アザレアが露骨に嫌そうな顔をする。
2人が言い合いをしているのを、エドウィンは1人離れた場所に座って見ている。
(……裏切り者…)
彼の手にはリアンの腕章が握られている。
何度見ても、間違いなくリアン本人の字だ。最も交流のあったレイモンドもそう言っていた。
つまりリアンは、やはりメルヴィルの読み通り、この組織の中の誰かに殺されたと考えるのが妥当だろう。
エドウィンは顔を上げて、同室の2人を見る。
アザレアは、緊急事態で少し混乱している以外は、至っていつも通りに見える。
この部屋の2人であればレイモンドの方が挙動が不審だ。普段の彼には見られないような怯えが顕著に見られる。
「………」
やはり、エドウィンの目にはレイモンドが怪しく見えた。
2人はこちらに背を向けている。さっさと取り押さえて、疑わしいからと拷問にかけることもできるだろう。
しかし、エドウィンは動く気にはなれなかった。
(…こいつの悲鳴は、特に聞きたくもないしな)
なにより、この組織にそこまで貢献してやる義理はない、と。
心に浮かんだ言葉は、万一にも口から出ないよう、早々と奥底に仕舞い込んだ。まさか、自分が疑われてはたまらないから。
(………妙なことを口走って、あのメルヴィルの飼い犬にでも聞かれたら絶対に面倒だ)