「……ッふざけんな……なんで!なんでこんなことに……!」
ブツブツと呟きながら、アザレアははやる気持ちのままに足を動かす。行くあても目的も無い。ただ、何故、何故とひとりごちながら施設内を放浪する。そうでもしないと、纏まらない考えに押しつぶされてしまいそうだった。
「皆……皆おかしい!メルも!他も!俺たちの中に魔女なんか………っ」
いるわけがない、とは言えない。アザレアにはわからなかった。何も。何ひとつ。
「……俺は違う…魔女じゃない……!…でも…」
不規則なリズムで足音が止まる。静寂に響くのは彼の呼気だけだ。
アザレアは怯えるように、隠すように自身の右腕を掴んだ。
「………やだ…何も覚えてないんだってば……」
わざわざ隠している腕。そこに刻まれた醜い傷の原因を彼は知らない。
出自すら不透明な彼は、己を弁護する術を知らない。突然味方が1人もいなくなったこの場所で、アザレアは襲いかかる不安と孤独感に蹲ってしまった。
「……どうしよう……」
あてもなくきょろきょろとあたりを見回す。近くに人影はない。何度見たって変わらないのに何度も確認してしまうのは、底知れぬ孤独から逃れるためであった。
その時、微かに視界に光の筋が通った。
がば、と顔を上げてそちらを凝視する。細く遠い光の筋は、唸り声と共に徐々に掠れ、やがて消えた。
アザレアは急いで立ち上がり、光の方向へ走り出す。あの光が、細く開いた扉から漏れるランプの灯であることはよくわかっていた。
とにかく誰かと合流しよう。自分1人では何をしていいかもわからない、資料も読めない。
大きな扉に駆け寄ったアザレアは、恐る恐る、小さく戸を開き、隙間から中の様子を伺った。
+
コンコンと小気味良い音が響く。
「誰だ?」
「俺です。セラフィムです」
「…開いているぞ」
軽い会話ののち、やや控えめに扉が開かれる。宣言通り扉の向こうからセラフィムが顔を覗かせる。
メルヴィルは持っていた書類を机に置くと、来訪者に向けて顔を上げた。
「さっきはありがとう。今し方レイモンドが来たところだ」
「無事見つかって良かったです」
「…ああ、本当にな」
メルヴィルは心持ち俯いた。何を考えているかはセラフィムにも容易に判断できた。
「……それで、お前はどうした?何か用があるんだろう」
ぱ、と持ち直してメルヴィルが問う。セラフィムは少しだけ間を置いて、はい、と返した。
「魔女の件の、俺の見解をお伝えしようと」
「率直に申し上げます。俺はルッカさん、それ以外ならレイモンドさんかアザレアさんだと思っています」
セラフィムは凛とした態度を崩さずに続けた。
「…根拠は」
「ルッカさんは第一発見者です。まず疑うなら妥当でしょう。あとの2人は犯行時刻と思しきタイミングに談話室にいませんでしたから」
ですが…と言葉を切って、軽く思案しながらセラフィムは続ける。
「そうですね、レイモンドさんの狼狽ようは演技にはとても見えませんし……アザレアさんに嘘は無理かと、俺は思います」
メルヴィルは溜息混じりにそうか、と呟いた。
その様子を見てセラフィムは言う。
「差し支えなければ、ご意見を」
「あー………」
とうとうメルヴィルの眉が八の字を呈した。まるで顔に大きく参りましたとでも書かれているようだ。
「…俺は元々、そういう頭を使うことは得意じゃないんだ。知ってるだろう?」
「ご謙遜を」
「馬鹿言え」
吐き捨てる様に溢して、メルヴィルは頭を抱えてみせた。
「まだ確証は無いだろう。少し様子を見ろ。証拠が上がったらまた来い」
「…ですが、可能性があるなら野放しにはできません」
今まで毅然とした態度を貫いていたセラフィムが表情を歪める。メルヴィルはわかっていると言いたげに彼を一瞥した。
「…平素とは事情が違うのはわかるだろう……なに、お前が見張っていれば滅多なことはできないさ」
「ですが」
「セラフィム、これは命令だ」
その言葉に口をつぐむ。
「………わかりました」
口惜しげにそう応えて、セラフィムは踵を返した。扉の目の前で振り返り、一礼をする。そうして重い音を伴って彼は姿を消した。
客がいなくなった部屋に、主の溜息が響いた。
+
淡々とした足取りで廊下を抜ける。いつもどおりの颯爽とした様子のセラフィムはしかし、扉の影で息を潜めるアザレアの存在に気づかない。
「……………」
じっと彼が通り過ぎるのを待ち、扉がしっかり閉じたのを確認して、アザレアは恐る恐るまた廊下の先を伺った。
「……本気なんだ」
そう思った。
彼らは冗談なんかでこんなことを言わない。それはわかっている。しかし仲間を殺すとなれば話は別ではないか。…アザレアはどこかで彼らが、当然のように、仲間を殺すことを躊躇うものだと思っていたのだ。
セラフィムはアザレアが想像するよりずっと大人で、決断の早い人間だったのかもしれない。
「………こんなの、おかしいよ…」
両の足に力が籠る。居てもたってもいられずに彼は走りだした。
行き先は談話室だ。
+
「…………ッ、」
誰も居なくなった廊下___否、ただ1人の人間で構成された空間が、彼自身の吐息によって揺らいだ。
薄暗い廊下で立ち止まったセラフィムは、声を押し殺して肩を震わせる。
力を込めて口元を覆う掌は、しかし漏れ出す感情を殺し切ることはできていない。
「……ふ、………ッ、ふふ、」
戦慄く唇が、すっと弧を描いた。
笑みは深まる。細く鋭い三日月のように。それはまるで人間ではないような、
__________魔女のような笑みだった。
「嗚呼、なんてこと……!」
歪に口角を吊り上げるセラフィムに、普段の落ち着いた彼の面影はない。
メルヴィルからの指示を頭で反芻する。彼は今し方"証拠さえあれば殺していい"と、そう言ったのだ、と。
セラフィムは今までにない興奮に包まれていた。
あたりに人影はない。誰もセラフィムの姿を見ていない。それをいいことに、少しの間だけ彼はずっと着けていた仮面を脱ぎ捨てる。
じっと目を伏せて想いを馳せる。死んだリアンは、最期に何を言ったのだろう。どんな顔をしていたのだろう。何を思ったのだろう。
絶望しただろうか、怒り狂っただろうか、それとも恐怖しただろうか?想像は尽きることはない。
セラフィムにとって、殺しは遊戯である。
彼は幼い時から小動物を殺すのが好きだった。本当の両親に捨てられた彼の楽しみは、義父母の元、隠れて猫などを虐げ、嬲り、殺すことであった。
そんな彼が、しだいに人間の死に興味を持つようになるのは至極当然の帰結であろう。
この状況は、彼にとって千載一遇のチャンスでもあった。
仲間たちに疑いの目を向け、魔女の処刑という名目で彼らを殺す。魔女を徹底的に憎んでいる、という己の設定は、処刑役を買って出るのに非常に役に立つ。
そもそも、そのためにこの組織に入ったのだ。セラフィムにしてみれば、機は熟した、ということだ。
「……さて」
あとは証拠をあげるだけ。セラフィムはいつもの表の顔を貼り付けてきょろきょろとあたりを見回す。廊下には依然として誰もいない。
「…ルッカさんはどこでしょうか……」
+
「…………」
「…………」
資料室、ルッカとファウストは互いに一心不乱に文字を追っている。啖呵を切って出てきたわりに、ルッカの目には未だ動揺の色が濃く滲んでいた。対するファウストも全くページが進んでいない。
2人の間の空気は先程から停滞したきり、ちらりとも前進する様子を見せないままだ。
「……あの…ファウストさん」
ふいにルッカが口火を切った。
「………何」
「協力、しませんか」
ルッカは顔を上げて言った。ファウストは答えない。目線は相変わらず紙面に沿っている。
「皆、おかしいです。仲間が……死んだのに、ろくに弔いもしないで…それどころか疑い合うなんて」
「おかしいのはわかってるよ」
向き合わないまま会話は続く。
「…こんなのが正しくていいはずない。……2人なら、絶対情報収集も捗るはずです」
ファウストはようやく目を上げた。ゆっくりルッカの方に目をやって、答える。
「ボクが嫌だって言ったら?」
「…その時は俺1人でなんとかします。けど」
「…けど?」
「アンタだってなんとかしたいと思ってるはずだ」
「………」
はぁ、と、息を吐いたのはファウストだった。
「…ボクが犯人の可能性だってあるでしょ。勿論ボクからすりゃ、アンタがそうかもしれない」
ルッカは少しだけ不満そうな顔をした。
「そうやって疑ってたらキリないだろ」
「…そんなんで大丈夫?アンタ、死ぬよ」
ファウストの冷ややかな視線に、ルッカは少し萎縮する。その様子を横目に見て、ファウストは一枚の書類をルッカに突きつけた。
「………これ、なんて読むの」
「え?」
慌てて受け取って確認する。
「……ヴォーコルベイユ………えっと、昔の魔女の記録…みたいですね。もう処刑されてるみたいっすけど……」
「…そう」
ファウストはまた引ったくるように書類を手元に戻すと、別の束を漁りながら言った。
「…ボクはボクの調べたいことを調べる。…でも、読めないことがあったら聞く代わりに、気になることがあったら共有する。これでどう?」
お互いが、お互いを、お互いの目的のために利用するような関係。ファウストは、それならいいよ、と提案した。
+
「……ルッカ、これ」
「ん?…ああこれは……」
小さな話し声を交えて進む調査は、静かではあるけれど先の沈黙よりは遥かに居心地の良い時間だった。
「…それにしても、びっくりするくらい手かがり無いな………」
過去に似たような事件が起こったという記録でもあれば良かったのだが、どこを見てもそんなものはないらしい、ということがわかっただけだ。
「そんな簡単に出てくるわけないでしょ…」
ガサガサと新たな紙束を出しながらファウストが言う。
「それは?」
「さぁ。今から見る」
ファウストはそう言いながら裏向きの一枚目をひっくり返す。
数秒ののち、紙面を滑る目が止まった。
「………!」
「ファウストさん?」
不審に思ったルッカが声をかける。しかしファウストの目はその紙に釘付けになったままだ。
ルッカはそっとファウストの肩越しに紙を覗き込む。
「…あれ、それってボスの…」
ファウストが持っていたのはどうやら履歴書のようなものらしい。他より少し大きな字で、メルヴィル・クロウリーと書いてあるのが見える。枚数を見る限り、この組織全員分のものがあるらしい。
「あ、リアンさんのやつ見れば多少何かありませんかね?昔のこととか…」
話しかけたルッカの声を遮るように、ばさっと紙束が降ってくる。
「え!?うわ、わわっ」
自分に向けて投げつけられたそれを必死にかき集めて、ルッカが顔を上げると、ファウストは今まさに部屋を飛び出さんとするところだった。
手には3枚の履歴書を握りしめている。
「ちょっと、ファウストさん!?」
呼び声虚しく、ファウストは足を止めることなく扉の向こうへ消えていった。
「………なんなんだ……?」
唖然としたままのルッカは、半ば無意識に残された6枚の履歴書に目を落とす。
…ルッカ、レイモンド、ダナイ、エドウィン、セラフィム………リアン。
そうして首を傾げる。
「ファウストさん、どうしてあの3人の分を持っていったんだろう…」
+
「誰かいる!?」
けたたましい音と共にアザレアが談話室に突入する。ずっと響いていた話し声は止み、中にいたエドウィンとレイモンドがさっとそちらに顔を向けた。
「………えっ何してんの?」
2人の様子を見てアザレアはたじろぐ。
エドウィンは険しい顔で舌打ちをして、たった今まで掴んでいたレイモンドの襟元を離した。
レイモンドは少しの安心と多分の焦りを混ぜた視線をアザレアに向ける。
「あ、アザレア、これは…」
「何って、尋問に決まっているだろう。魔女候補のな」
レイモンドの声に被せるようにエドウィンが吐き捨てた。
「さっきダナイと入れ替わりでこいつがやってきた」
アザレアは、はぁ!?と声を漏らす。
「レイモンドが魔女なの?」
「違う………!!」
「違うものか」
抗議するレイモンドを半ば押しのけるようにしてエドウィンの手が伸びる。その手には何か赤いものが握られていた。
「魔女でなければ何故こんなものを持っている」
「………それ…リアンの持ってたやつ!」
それは件のリアンの腕章であった。
「裏切り者、だと。よく出来たダイイングメッセージじゃないか。…さぁ、一体これをこいつはどこで手に入れたと思う?」
「…そりゃ、リアンの体から取ってきた…んでしょ?」
「そう、わざわざこれだけを死体から奪った。しかも今の今まで隠していたときた。何故だ?」
エドウィンはレイモンドを見た。レイモンドは真っ青な顔で首を横に振っている。エドウィンはそんな様子を鼻で笑って、続ける。
「裏切り者がいると明言されては困るからだろう。つまりお前が魔女だ。わかりやすいことこの上ない!」
「違う!!」
「黙れ」
エドウィンの視線は冷ややかだ。
「疑わしきは殺せ。ずっとそうだっただろう?ここの仕事は」
レイモンドはずっとうわ言のように違う、と繰り返している。
「俺、がリアンを殺すわけ………」
アザレアはずっと言葉を発せないでいた。