ここは欧州。洒落た煉瓦造りの建物が織りなす、美しい街。
そして、人を脅かす魔女が潜む恐ろしい街。
これはそんな街の平和を守るため、国によって組織された魔女狩り実行部隊……そのひとつの隊の物語。
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「仕事飽きた」
「………だからって俺の髪をいじらないでくださいよぉ」
昼下がり。魔女狩り部隊に与えられた施設の中の一室、談話室には二つの影があった。
ひとつは小さな帽子を被った青年、ファウスト。綺麗なままの羊皮紙を前に、煙管の煙を燻らせている。対するもうひとつは細身の十字架を耳飾りにしている青年、リアン。少し煙たそうに咳をしてその様子を見ている。
「もう、報告書白紙じゃないですか!」
「だって面倒臭いんだもん」
「社会人なんだからちゃんと仕事して下さい」
やいのやいのと言葉を交わす2人。広い部屋には他に人が居ないため、喧騒に眉を潜めるものもいない。2人はそれをいいことに好き勝手に声を張り上げていた。
「もうこのままメルサンに出しにいこっかな」
ファウストがつまらなそうに羊皮紙を眺めながら呟く。
「え!?本気で言ってます?絶対怒られますって!」
「大丈夫だよ、メルサン怖くないし。ほらそうと決まれば早く行こー」
「俺もですか!?嫌ですよ!俺この後資料室に用があるんですから!」
資料室は魔女の目撃情報や過去に起きた事件などの情報をまとめた書類を整理するための部屋だ。
「着いてってあげるから早く用済ませてよ」
「えー……」
ファウストがふぅ、と紫煙を吐き出す。てこでも譲らない様だ。リアンは諦めた様に頭を振ると、わかりましたよ、と立ち上がった。
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「あれ、ルッカさんにレイモンドさん!」
「リアンさん?…とファウストさんっすか。2人も資料見に来たんすか?」
資料室には2人の先客がいたようだ。扉近くにいたルッカが人好きのする笑みを浮かべる。その奥で少し控えめにレイモンドがリアン達の様子を伺っている。
「はい、俺はそうです。……ファウストさんは……」
「付き添いだよ」
リアンの肩に思いっきりもたれてひら、と軽く手を振るファウスト。じと…と自分の背を占拠する先輩を睨んでから、リアンは諦めた様に2人に顔を向ける。
「ルッカさん!ルッカさんってもう出られるんですか?」
「え?うん、用は済んだんでもう帰るとこっすけど…」
「…よし!じゃあ丁度いいです!」
ぱ、と明るい笑みを浮かべると、リアンは後ろにいたファウストを、ルッカに押し付けるように前へ来させる。
「さ!ファウストさん。暇そうな人見つかりましたよ!」
「ええっ!?」
慌て出すルッカを完全に無視して、リアンはさっさと扉の外にルッカとファウストを押し出し、では!と満面の笑みで扉を閉めた。
ルッカは唖然とした顔で扉を見つめる。
扉の向こうからは、リアンがレイモンドに諌められる声が微かに聞こえた。
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がちゃり、と音を立てて、執務室の扉が開く。組織の長の執務室ということもあり、それなりに重厚な扉は開く音もよく響く。
部屋には、この部屋の主と、その補佐官の姿があった。
「おや、ファウストさんにルッカさん」
「………ルッカ?……どうした?何の用だ」
セラフィムの声に、ぱっとメルヴィルが顔を上げる。微かに首を傾げる彼に、ルッカは乾いた笑いで応えた。
セラフィムは小さな含み笑いを溢し、メルヴィルはファウストに目線を投げる。どうやら察してもらえたらしい。
「……ファウスト?書類はできているか?」
「はーい」
名を呼ばれたファウストがルッカの背後から顔を出し、メルヴィルに紙の束を差し出す。
メルヴィルはそれを受け取るなり眉を潜めてファウストを見据えた。
「………お前はついに一文字書くことすらサボり出したのか」
「メルサンがものすご〜〜〜く書類が好きみたいだから、ボクのも分けてあげようっていう親切心だよ。受け取ってくれないの?」
全く反省の色の見えないファウストに、メルヴィルが大きく溜息を吐く。
「お前は何度言ったら真面目に仕事をするんだ?後始末をさせられる俺と俺に胃薬を提供するセラフィムの身にもなれ」
「うわセラサン可哀想!メルサン鬼畜!」
「誰のせいだと思っている!?」
白紙の報告書を間に置いて、最早恒例行事となりつつあるメルヴィルの説教が勃発した。
「…俺もう帰っていいっすかね……」
「恐らく構わないと思いますよ」
平素と変わらぬ柔和な笑みを浮かべるセラフィムを見て、ルッカは小さく安堵の息を吐いた。
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こつ、こつとブーツの底を鳴らして歩く。1人になったルッカは小さく伸びをして、はぁ、と何度目かのため息をつく。先ほどの喧騒に比べればほぼ無音に等しい空間が、余計に気分を曇らせる。手にした資料の束がやけに重く感じられた。
彼が資料を取りに行ったのは、これから果たさなければならない仕事の為だった。
書類を追うだけではない、捕らえた魔女から情報を聞き出す、とても大切な仕事だ。
____ルッカにとって、それは最も頭を悩ませる事象でもあった。
と。ふと先程見かけた影を視界の端に捉える。
「…あ、レイモンドさん」
「!……ルッカ。大丈夫?」
あー、はい、と曖昧な笑みを溢す。口数の少ないレイモンドとの会話は静かなものだが、重く沈んでいた彼の心はそれだけでもいくらか救われたようだった。
「リアンさんは?一緒じゃないんすね」
「?……さっき出て行ったけど、会ってませんか?」
2人して首を傾げる。ルッカは、考え事をしながら歩いていたせいで気付かなかったのだろうか、と検討をつけ、すれ違っちゃったみたいっすね!と応えた。
「………あ、……じゃあ、俺…仕事なんで」
言えば、レイモンドはハッとした表情を見せた。
「…頑張って」
「…ありがとうございます」
そうにこやかに微笑んで、ルッカはその場を後にした。
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「失礼します」
丁寧に挨拶をして、レイモンドが扉を開ける。談話室は少し前とはうってかわって賑やかな様子だった。
それもそのはず、先程まで執務室にいたメンバーがそのままこちらへ移動してきている。
「あ、レイモンド!ただいま〜」
それに加えて、ひらひらと長い袖を振る影があった。少し前に別の任務を終えたアザレアが帰ってきたのだ。
「…お疲れ様。ダナイは?」
「知らな〜い。見てないからまだ外じゃない?」
今日、外出を伴う任務を受けていたのはアザレアとダナイだけだ。
エドウィンは家の都合でいない。昨日珍しく蒼白な顔で文句を言っていたのを皆覚えている。
レイモンドは了承の意を込め少し控えめな笑みを見せ、そのまま近くの椅子に腰掛けた。
「レイモンド!!アンタも何か言ってやってよー!メルサンったらしつこいんだよ!」
「しつこいのはお前だ!いい加減諦めろ」
………どうやらまだ決着がついていないらしい。
「今日はファウストさんを捕まえられた分、長が優勢ですかね」
「あはは!ファウストだっさ!」
本に目を落としつつ、小さく溢したセラフィムの言葉は、きっと真横にいたアザレアには聞こえたのだろう。ケラケラと楽しそうに笑っている。
その様子を見ていたレイモンドは、ふいに、誰にともなく尋ねた。
「……リアン、来てないんですか?」
その言葉に数人が顔を上げる。
「しばらくここに居ますが、見ていませんね」
応えたのはセラフィムだ。それを聞いたレイモンドは、思案するように口元に手を当てる。
「……確か、ここに来るって言ってたのに」
少し前、リアンが彼より少し早く資料室を後にしたとき、確かに談話室へ向かう予定だと口にしていたのだ。そのため、当然レイモンドはリアンがここにいる筈だと思っていた。
「途中で気が変わったんじゃないの?やりそーじゃん」
アザレアが菓子を摘みながら言う。
彼の言う通り、リアンは割と考えの変わりやすい男だ。数分前に言ったのと違うことをしていることも珍しくはない。
「……そうだね」
レイモンドもそう納得した。
が、同時に彼は、言いようのない違和感を感じてもいた。理由はわからないけどなんだか腑に落ちない。心の奥底に小さな不安が蟠っているような、そんな違和感。
彼が違和感の根源に気づくのにそう時間はかからなかった。
微かに、足音が聞こえるのだ。その低く籠もった響きが、それとなく彼の不安を誘発していたようだ。
扉の外から、誰かが来る。それも、ゆっくり歩いてくるような音ではない。もっと切羽詰まって、全力で走っているような、そんな音。
____ほどなくして、けたたましい音を立てながら談話室の扉が開いた。
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「皆ッ、…………!」
ぜいぜいと息を切らしながら、ルッカは、肺に残った空気を押し出すように声を上げる。
扉を乱暴に開き、転がり込むように入ってきたルッカの姿に、一同はいち早く何らかの緊急事態を察知した。
「何があった」
メルヴィルの問いに、乱れた呼吸を必死で押さえながら、言葉を紡ぐ。動揺と疲労でうまく声が出ない。
「リアン、さんが、」
「………!」
言い終わらないうちに、レイモンドが部屋を飛び出した。
「待って!」「落ち着いてください、」「止まれ!おいお前ら!」
静止の声と足音であたりは騒然となる。レイモンドに次いで走り出した若い2人、そしてそれを止めようと残りの2人も腰を上げた。必死に走って、その場所で一向が目にしたのは、
血に塗れ床に倒れ伏すリアンの死体だった。
+
地下、俗に拷問部屋と呼ばれるような、組織の仕事に必要不可欠なその部屋は、今日も赤黒く血に濡れている。
___しかし、その血が仲間の男の流したものである、という異常な状況は、断罪人たちの思考をいっとき止めるのに十分であった。
「リ、アン………」
先頭に立っていたレイモンドがふらついてしゃがみ込む。思わずそっと肩を支えるルッカの手も震えていた。
「……何、え?…リアン、」
かた、と踵を鳴らし、アザレアが後ずさる。
「……っ早く、手当てを」
「いいえ、必要ありません。…もう手遅れです」
声を上げたファウストを引き止めるようにセラフィムが口を挟む、そのまま軽く首を横に振ってみせた。手遅れという言葉に数人が息を呑む。
「……なんで、」
苦々しく、絞り出すように。そんなファウストの呟きと、震えるアザレアの声が重なった。しかし続く言葉はひとつも出てこない。
なんで、リアンが。
なんで、突然。
__________誰が?
「……………魔女、でしょうか」
そう溢したのはセラフィムだった。声音にじわりと憎悪が滲んでいる。
彼らは他でもない、魔女狩りを行っている張本人達だ。怨恨なら心当たりがありすぎるくらいだった。
…けれど、何故。何故よりにもよって、最も日の浅い彼でなくてはならなかったのか。
きっと誰もが思っただろう、しかし誰だってわかるはずがないのだ。冷酷な魔女の心など。
「_____運ぶぞ」
リアンの体を、メルヴィルの両腕が抱え上げる。彼の凛とした声には一縷の震えもない。
仲間たちに声をかけておきながら、1人で事を為そうとする彼に、慌てた様子でレイモンドが追随した。
「……俺、も、…手伝います」
未だ彼の声は震えている。その筈だ。彼は死んだ彼と特に仲が良かったのだから。
「俺も」
セラフィムがメルヴィルの背後に並び立つ。
続けてボクも、俺もと声が上がるが、メルヴィルは残りの声を全て制した。
「3人もいれば十分だ。…お前たちは少し落ち着いて待っていろ、いいな?」
それでもなお不満げな3人に向けて、メルヴィルはもう一言だけ念押しするように告げると、セラフィムとレイモンドを連れ踵を返した。
「それから、絶対にこの建物から外に出ないように」
+
静かになった談話室を重苦しい空気が包み込む。
残された3人は皆額を寄せ合うでも避けるでもなく、ただ妙によそよそしい間隔を保ったまま、一様に俯いていた。
「_____魔女、のせいだよね」
ぽつりと。
声を出したのはアザレアだった。
長すぎる沈黙に耐えられなかったのか、少し落ち着かなそうに右腕をさすっている。
ファウストが応えるでもなく舌打ちを溢した。びく、とルッカの肩が震えた。
「……そうでしょ。…魔女に殺されたんだ、リアンは。……1番新顔なのに」
声はだんだん悲痛な響きを帯びてくる。
やりきれない悲しみに耐えるように自身の左腕を掴む。指先は力を入れすぎて白んでいた。
「……魔女ってさ、…壁とか通り抜けれたりするの……?」
アザレアは続ける。
「…そんなことできるなら今まで何人逃げたと思う?…できないからボクらが捕まえておけるんだ」
微かに震える声でファウストが答えた。
「………じゃあ、」
「……何なんだよ、さっきから。……問答する気分じゃないんだけど?」
さらに続く声を制すようにファウストが顔を上げる。瞳に映るアザレアの表情は至って真剣だった。
「…さっき、メルが出てっちゃダメって言った。なんでだろうって考えてたんだ」
「………俺たちも殺されるかもしれないから、じゃないんですか」
小さな声でルッカが問う。
「うん……そうかなって思ったんだけど、でも俺たちの仕事は魔女狩りだから…今なら、魔女を探せって言うんじゃないかなって思うんだ」
長の命令ならさ、と付け足して、アザレアは一度口を閉じた。
「……長は、優しいから……俺たちを案じてくれたんじゃ、」
「でも俺たちだって、訓練は積んでる。3人がかりで魔女に負けるほど弱くないでしょ」
「………ごめん。何が言いたいんすか…?…俺にわかるように、教えて下さい」
ルッカも顔を上げ、アザレアを見た。四つの瞳に見据えられ、アザレアはまた少しやりにくそうに眉を潜める。
「だから、出ていくなって言ったのは、魔女に遭わないためじゃなくて……」
「魔女をここから出さないため」
4人目の声が聞こえた。
3人は声のする方に目を向ける。声の主はセラフィムだった。
「…………セラサン」
セラフィムは神妙な面持ちで告げる。
「長から、今夜はこの施設を出ないように、と。明日、ダナイさんとエドウィンさんが戻ってきたら、改めて話をとのことです」
3人はふと顔を見合わせた。
皆三者三様、しかし一様に、不安をその目に宿していた。